【受験と学歴(連載)】学歴コンプレックス②

『学歴コンプレックス』の二本目です。

早速参ります。

◆就活における『学歴事情』
さて、学歴というものがなぜここまで話題に上るかというと、やはりそれなりの影響が社会で認知されているからでしょう。

特に大学生が学歴による影響を感じるのは就活のときだと思います。

まず、名言しますが「学歴は就活に影響を及ぼすか」についてですが、これはあります。

新聞などを読んでいれば、連日この手の話題が上がりますが、新聞を読まなくても影響を及ぼすことくらいはおわかりいただけると思います。仕組みは至極単純ですから。

そもそも、個人の能力や人柄を少ない時間で判断するのは不可能です。
当然企業側も、面接内容や選考過程などを工夫して、なるべく会社に適する人材を選考しようと取り組んでいますが、限界があります。

少ない時間で判断を的確に行うためには、判断材料が多く必要なわけですが、その際に学歴は大きく影響します。就活期間が短くなっている現在では尚更です。

たとえば、もしあなたが面接官で、ある二人の学生A君とB君を比較したとします。

ESの内容はどちらも同じくらいで、見かけ、面接の様子もともに同じだと仮定します。

しかし、A君は東大で、B君は無名の大学だとします。

大学以外はすべて条件は同じだとするならば、あなたはどちらを採用しますか?



採用担当者は当然「なぜ、この人材を選んだのか?」という責任が問われるわけです。
そうした場合、いくらその採用担当者が「学歴なんて関係ないぜ!」と思っていたとしても、
学歴以外の条件が一緒ならば、「A君の方をなぜとらないんだ!?」という疑問に対して解を持ちえないわけです。

必然的にA君が採用されます。

そもそも、選考過程で学歴以外が同じ条件だったとしても、難関大学を突破したという一つの実績があるから信用があるわけです。「会社にはいってからもちゃんと仕事をやってくれるだろう」という期待ですよね。

もちろん、これは極端な例であることは自覚していますが、「学力試験を突破した」という側面を企業側は重視します。

なぜなら、会社に入ってからも勉強をして学んでいくことは多々あるからです。
むしろ、会社に入ってからの方が多いと思います。
勉強ができることは、企業にとってはプラスなのです。

自分の頭で考え、悩み、試し、失敗し、検証して、次に生かすというPDCAサイクルは、受験勉強の中でも培われていきます。

さこだは、受験生を手助けする仕事をしているので、多少の色眼鏡はあるかもしれませんが、
受験勉強は、人格形成、思考力養成ともにしっかりと役割を果たします。

「受験勉強で社会に必要なことは学べない」などという人もいますが、さこだはそうは思いません。
受験勉強をする中で培ってきたものは、社会に出てもちゃんと活きてきます。

このような事情を理解している人が多いからこそ、就活の場面で学歴は重視されるのではないでしょうか?

◆『学歴』よりも『学力』が大切。 しかし。。。
さこだとしては、学歴よりもむしろ学力の方が重要だと思います。
「学力」というと、誤解を受けやすいのでこの記事の中での学力を定義しておくと、

「課題や目標が設定されたときに、しかるべき最善の対処の仕方を考え、実践する能力。
または、ある問題が生じた時に対処できる問題解決能力と意思決定の正確性」

としておきます。

仕事をしていく中で、どのようにすれば目標をクリアできるのか、あるいは問題が発生した時にすみやかに解決できるのか、が学力がある、ないを判断する基準といういうことです。

社会として求められているのは上の定義で言うところの学力です。

大学のネームバリューなんぞ、仕事をしていく上でほどんど役に立ちません。
むしろ、「こいつ大学は立派なのに、仕事はイマイチだな。まさか裏口?」とまで思われかねません。

極論すると、学力さえあれば、学歴なんて必要ないわけです。

しかしながら、なぜ学歴が重要視されるのか。

◆学歴は学力を表す一つの記号
学歴というのは、学力を表す一つの指標になっています。

東大の人と早稲田の人がいた場合、東大の方が学力が上だ、と判断するわけです。

そして、これに信憑性があるからこそ、多くの人が学歴を重視する所以なわけです。
いうなれば、学歴というのは学力を表す一つの記号です。

先にも述べましたが、仕事を行うえでPDCAサイクルをくりかえすことは当然です。
(先ほど、PDCAサイクルについて詳しく述べていなかったので、リンクを貼っておきます。
様々な解釈がありますが、さこだの理解に一番近いのは、このリンクです。
さこだも社会人になってからこの言葉を知りました。)

そして、学力を伸ばすにはPDCAサイクルが不可欠です。
その学力を持っているかどうかを判断する一つの記号が学歴なわけです。

「学歴があること」と「学力がある」ことは完全には一致しません。

学歴があっても上で定義する学力がないことはありますし、
学力があっても、俗に言う学歴はないことだってあります。

しかし、多くの人に「学歴」=「学力」という認識があるならば、
自分の学力を理解してもらう手段として学歴というのは役に立ちます。

ただ単に、自分がどの程度の学力を持っているか判断してもらうための一つの指標でしかないわけですから、たしかに自分の学力を素早く理解してもらうには便利かもしれません。

◆どんどん膨らむ学歴風船

さて、学歴っていうのは学力を表す単なる記号だと思うのですが、必要以上にその影響が大きすぎるとさこだは思います。

そこにもやはり、思考停止の罠があるように思いますし、さらには親の影響があるとも思います。

学歴に関して
「必要以上に重要視する」のか「ありのまま捉えられる」のか。
「気にする」のか「気にしない」のか。

この辺りの親の影響はとても大きいでしょう。

子どものころから「一流大学に入って、将来は〜」なんて言われれ続ければ、学歴に関して必要以上に価値を置くでしょう。子どもに罪はありません。

逆に「大学なんてどこでもいいさ。やりたいようにやりなさい」などと言われれば、学歴に関して気にしない子どもになるでしょう。

「けど、学生時代の環境で、学歴に関しての考え方は変わるんじゃないか?」
と考える人もいるかもしれませんが、多くはないとさこだは思います。

成長期において、親の考え方は多大な影響を受けます。

たとえば、学校で友人達が
「やっぱり大学はMARCHくらい行きたいなぁ」
と言っていてとしても
「やりたいようにやれ」
と家庭で言われていれば影響を受けにくいと思います。

「やりたいことをやる」ためには、「何をやりたいのか」を真剣に考える時期が必ず来ます。
思考停止状態では、何をやりたいかなんて決められません。

「自分のやりたいことはなんだろう」と考え続ける過程で、自分の進路を考え、大学に関する明確な意思を持つようになるはずです。そうすれば、学歴を等身大でとらえることができるのではないでしょうか。

「将来は○○大学を目指して、最低でも△△大学あたりに行くのよ!」
と言われ続けていれば、自分の進路について考える機会が失われてしまい、思考停止を生む原因になります。

結果、学歴に対する価値が風船みたいに膨らんでいき、実態を表さなくなると思います。

当然親としては、親のエゴではなく「我が子に幸せになってほしい」という思いから、こういう言葉をかけるはずです。(親のエゴで子どもに価値観を植え付ける方もいますが。)

様々な活動をする上で、いわゆる高学歴は便利に使えることはあっても、邪魔になることはほとんどありません。
やれることの選択肢も増えるわけですし、たしかに多くの企業では学歴のある人を欲しがる傾向があるわけですから、「子どもが幸せになる確率を上げるため」に、学歴の啓蒙活動をしてしまう気持ちは十分に理解できます。

しかし、ここでの接し方は気をつけていかないと、
「学歴があること」=「偉い」
「学歴があること」=「幸せになれる」

という誤解を生みかねません。

さらには、親が望むような学歴を手に入れられなくて自己否定につながる恐れだってあるわけです。

「親が設定した学歴ライン」を越えられると問題はないが、
そのラインより下だったときに学歴コンプレックスが生まれる
とさこだは思います。

学歴の適正ラインなんか自分で決めてしまえばいいんです。
将来なにをするかによって、そのラインはいくらでも変わっていくわけですし、
ラインを設定する必要すらないこともあります。

親がすべきことは、子供に考えさせること。
考えるための材料と機会を多く与えてあげること。
そして、困っていたときに、答えではなく、愛を与えることだと思います。

子どもが将来何をやるかで困っていたら、
「何でもいい。後悔しない選択をしなさい。あなたがどういう道を選んでも、愛しているから。」
と支えてあげることが、一番大切なことではないでしょうか。

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